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ドライバーのニーズに伴走
中古車販売、カーリース、身障者用の改造車、そして新幹線駅まで身障者用のクルマを配車する新サービス。次々、生まれるクルマの可能性は注目され、ひょうごクリエイティブビジネスグランプリでも知事賞受賞。先見の明ある経営の手腕は、どのように生まれたのでしょう。
―どのような生い立ちと背景から今のビジネスに結びついたのでしょう。―
神戸生の生まれですが、父の仕事の関係で村岡へ、幼少期に移住してきました。言葉から遊び方から何もかも違い、子どもながらにカルチャーショックを受け、なかなか馴染めなかったかな。高校卒業と同時に大学進学で大阪へ。そのまま大阪の大手住宅総合メーカーへ就職。やりがいある仕事をさせてもらい、結婚もして順調に暮らしていました。
しかし、20代後半のとき但馬にいる伯父から、後継者としてガソリンスタンド経営をやってみないか、との話が舞い込みます。伯父は但馬で複数のガソリンスタンドを経営していましたが、今考えると、楽しい都会生活を捨ててなぜ但馬に帰ったのか、当時はなぜ伯父に「YES」と言ったのかはわかりません。敢えて言えば、車で旅行したり、ドライブ好きだったくらい。28歳の私を何かが動かしました。
平成6年、家族で日高町にUターンし、豊岡店でまず修行を始めました。平成7年からは今の会社がある場所、村岡店のガソリンスタンド「村岡日石」を任せられますが、世の流れはガソリンスタンドもセルフ化が進むし、石油の規制緩和による自由化でガソリンスタンドは斜陽に向かっていく時代でした。そこに追い打ちをかけるように、店に配管トラブルが発生。昭和48年からの施設は、修繕なしでは営業もままならない状態でした。
マイナスからスタートした起死回生の道
平成11年、大きな借入をして修繕したが、地下配管なのでお客様の目に見えてキレイになったわけではないですよね。投げ出したくなる、まさにマイナスからのスタートでした。
普通にやっていたのでは借入金が返せない。平成12年、但馬でいち早くガソリンスタンドでもできる「代行車検」を取り入れたり、他にもこれはと思う新しいことは取り入れ業績は伸びましたが、借入が大きく、いつも赤字でした。
―まだ若かった田村さんが降りかかった難題を、どう乗り超えましたか。―
「村岡日石」は株式会社で、多くの株主さんがおられ、雇われている様な状態だったのでここで思い切って自分の好きな事ができる別会社の有限会社ハバタック(現・株式会社ハバタック)を立ち上げました。車検と中古車販売を扱っており、今もこれがメインです。これからはアフターマーケットが伸びる、と狙いをつけ緻密にマーケティングをしていたので、思った通り初年度から黒字でした。中古車の販売はオークション会場のプロの検査員が査定してくれ、診断書も付いて安心です。全国のオークション会場からお客さまに選んでもらい、オーダーが通ってから買うので在庫を持たないで済むスタイルです。このあたりから経営も楽になってきました。
車検については、完全見積もり型で事前に見積もり、請求額と全く同じ明快さが喜ばれています。これには手間がかかるのですが、お客さんがお客さんを呼んでくれます。
さらに、軽自動車限定のカーリースも始め、月に一万円の価格で、新車に乗れるので女性にも人気があります。
―目の付け所、ビジネスに結びつくきっかけや視点について。―
元々の事業、ガソリンスタンドのお客様から様々な要望、相談、クレームも直に聞くことができます。そこから、新しいきっかけを得ることが多いです。
株式会社タスクは、平成17年、ハバタック株式会社の保険事業を独立させたのが始まりです。高齢化が進む中、大手が既にやっていますが、まず福祉車両を扱う事業を始めました。偶然、お客様との話の中で足が不自由だと、事故や修理時に使える代車がなかなかない、との話を聞いた時にピンときて、足が不自由な方専用のレンタカーを扱う道が見えてきました。市場を考えると大手が目を向けないニッチな分野です。必要とされている何かを少しだけ「足す」、という意味の社名「タスク」を表しています。
しかし、始めた頃は保険会社は相手にしてくれませんでした。東京オリンピックパラリンピックが決まった平成25年頃から潮目が変わり、少しずつ問い合わせが出始め、足が不自由な方の自動車事故時の修理代車としてレンタルするようになりました。(両足が不自由な方向けに手動運転装置付き、右足が不自由な方のために左アクセル付きのレンタカーをラインナップ)
新事業の発想は、いつもお客様の声から。
―手ごたえのありあそうなものを探すのでなく、生の声に導かれるように進むのですね。―
平成30年頃からレンタカーのユーザー様から以前のように自由に運転して旅行できたら、という声を聞き、旅先で足の不自由な方が運転できるレンタカーをしてはどうかと考えました。障がいのある方も自分自身で動きたいという強い思いがあります。だって、ただ足が不自由なだけで、あとは今までと同じなのですから。
新幹線なら必ず身障者専用席があり、駅もバリアフリーなので利用しやすい。新幹線の駅からタスクレンタカーを利用していただき、各観光地まで自由に運転してもらう、という流れがシミュレーション出来て企画を進めました。
『駅クル』と名付けクラウドファンディングを立ち上げ、目標額も達成できました。駅クル(EKICLU)とは造語で「クルマを使用したレジャー」を意味します。足が不自由な方々も、”もっと気楽に””もっと自由に”旅行していただきたいですね。
いよいよこの秋開始で、まだ駅は限定されていますが、「足が不自由でも日本中を気軽に旅する未来」を創るのが目標です。
自身の交通事故が導いてくれた。
―単にお客様の声を聞く、以上の気迫を感じます。それほど深く身障者の事がわかるのは、なぜでしょう。―
自動車事故は自分の意志と関係なく巻き込まれる可能性がいつもあります。私自身も中学3年の下校時、自転車に乗っていて、居眠り運転の自動車に10数メートルは跳ね飛ばされ1ヶ月入院する事故に遭いました。後遺症もなく奇跡的に助かりましたが、一歩違えばと、心のどこかにこの経験が影を落としています。しかしだからといって、自由に動けるクルマを嫌いにはならないし、だからこそ事故で身体が不自由になった方とも通じ合い、親身に話が聞けるのかもしれません。
クルマは人や物を運ぶだけではなく、乗る人をより良い未来へ運んでくれる方舟(はこぶね)だと思います。
また振り返ると、失敗しながら立ちはだかる壁を乗り超えていく度、地元の温かさに助けられました。結果として私を育ててくれたのは香美町の方々です。これからも地域にお返しし町に貢献したいです。
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